千葉在住のクリスチャン。中国語やゴスペルや手話が趣味のスズランが感じたり思ったりしたことの日記。


by suzuran-no-nikki
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<   2011年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

 昨日は、毎月の第四金曜日に、幕張のWBGで行われている研修会で、
長い間いっしょに中国語を学んでいたFさんをホームに訪問した。

 Fさんは、奥様を看取られてから、しばらく一人暮らしをされていたが、
今年から、めいごさんのお世話で、都内のある老人ホームに入居された。

 中国語の研修会の終わった後で、先生とお友達と、みんなで4人で行った。

 JRのK駅を降りると、もう間近にスカイツリーが見える。
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 89才になられたというFさんは、顔色も良く、お元気そうだった。

 机の上には、中国語の辞書や書物がたくさん置かれていて、
現在でも勉強を続けておられる様子だった。

 しばらく、お部屋でお話をさせていただいた後、
ホームの屋上からスカイツリーを見せていただいた。

 帰りには、玄関口まで見送りに来て下さり、
中国語の先生が「100才まで、お元気で。」と言われると、
「いや、200才まで。」と笑いながら、中国語で返事をされていた。

 歩いて帰る途中に、‘十間橋’という所があり、
この川に映るスカイツリーがきれいだと聞いて来たのだが、
この日は曇り空だったせいか、あまりハッキリ見えなかった。
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-23 13:54 | 中国語 | Trackback | Comments(0)

環境補聴

 先日の日曜日、NHK教育テレビの‘みんなの手話’の
後の時間にやっている‘ろうを生きる 難聴を生きる’という番組で、
ろうの竹工芸家・杉田静山さんという方を取り上げていた。

 杉田さんは、12歳のときに病気で耳が聞こえなくなったが、
竹工芸と出会い、独学で技を身につけていく。
 37歳のときに日展に入選。
 80歳を目前にした今も、
繊細な作風の作品を作り続けている。

 そのインタビューの中で、杉田さんは、こう語っていた。

 「少しでも、聴力が残っていれば、補聴器が使えるが、
私は全く聞こえないので、補聴器を使えない。

 補聴器を使っている人をうらやましいと思っていた。

 ある時に先輩から、こういったことを言われた。

 『職場の友達を大切にして、理解者を増やすこと。
 技を磨くこと。
 これらは、補聴器と同じ働きをする。』・・・・・と。

 広い意味で「補聴」の役割をするのだと。

 ちょっと、なるほどと思った話だった。
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-21 16:57 | 手話 | Trackback | Comments(0)

ママ友と子育て

 上の子が生まれる前からの、
20年以上のお付き合いになるママ友3人で、
先日、ほぼ一年ぶりのランチをした。

 ママ友と言っても、みんな下の子が今年成人式を迎えたので、
もう子育ては卒業なのかもしれない。

 まだ、子ども達が小さくて手がかかっていた頃に、
ある教会の年配の婦人に「今が一番いい時ねえ~。」と言われた。

 その時は、こんなに子育てが大変で、
自分のやりたいことをやる時間もなくて、
何がいい時なんだろうと思った。

 けれども、今、子育てが一段落し、
振り返って見ると、それが分かるようになった。

 子供達が大きくなって、それぞれが自分の考えで道を歩むようになって、
親の手がかからなくなると、確かに自分の時間は持てるようになった。

 でも、あの若くて子育てが大変だったころも、
なんだかキラキラして輝いて見える。

 あの婦人が言っていた。
「人間その年になって見ないと、
分からないことってあるのよ。」と。
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-18 16:41 | 子育て | Trackback | Comments(0)

Yさんの快気祝い

 先日、Yさんの快気祝いとして、
おいしいF堂のゴーフルセットが送られてきた。

 クリスチャンのMさんとYさんのご夫妻とは、
以前、Mさんご一家がアメリカから帰国されて、
社宅でご一緒して以来、
もう10年以上のお付き合いになる。

 奥様のYさんは、2006年6月のある土曜日の朝に、
ご自宅で、突然、くも膜下出血で倒れた。
 すぐに救急車で運ばれて、6時間以上もかかる
大きな手術をされた。
 そして、奇跡的に命拾いをして、 半年間ほど入院された。

 あれから、5年が過ぎ、リハビリのかいあって、杖をつきながらだが、
ご自分の足で歩くことが出来るようになった。

 リハビリ病院に入院された日に、看護士さんから、
「いつか、ここを退院するころ、
どんなことができるようになったらいいなと思いますか?」
と聞かれて、
とても無理だとは思ったが
「ピアノをまた弾けるようになりたいです。」と答えたそうだ。

 そして、2010年からピアノのレッスンに通い、
11月にはコンサートにも出ることが出来たとのこと。

 この5年間、ご主人がされてきたYさんへの献身的な介護には、
頭が下がる思いがする。
 そして、お嬢さんの家事全般のサポート、
ニューヨークから飛んでお見舞いに来た息子さんなど、
このことを通して、思いがけず確認した家族の絆もあったようだ。

 何より、ここまで共にいて、守り励まし、
回復させて下さった主に感謝する文で、
同封されたYさんのお手紙は締めくくられていた。
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-15 16:34 | 家族 | Trackback | Comments(0)
 著者:加藤諦三
 発行所:株式会社PHP研究所
 発行:2007年5月
 定価:¥552+税

 上の子が、お友達から借りた文庫本があったので読んで見た。

 著者は、クリスチャンではないようだが、
「ありのままの自分を受け入れることが大切だ。」とか、
「逆境も、必ず益になるのだから感謝する。」といった
聖書にもあるような内容の発言も多く、なるほどと思うこともあった。

 ちょっと印象に残ったのが、『ウサギとカメ』の寓話で、
ウサギはウサギ、カメはカメであることが幸せだということ。

 「どうしてそんなにのろいのか」と言うウサギは、
ウサギの中で劣等感を持っているウサギで、
やさしさのない不幸なウサギであり、
「何とおっしゃるウサギさん」とそんなウサギの相手をして、
その挑戦にのるカメも、また不幸なのだという話。

 全体の流れで読まないと、意味がよく分からないかもしれないが、
この寓話に、そんな解釈もできるんだなあと面白く思った。
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-13 10:35 | 読書 | Trackback | Comments(2)

母の骨折

 母は、退院した夜に転んで、腰を一部骨折してしまった。

 急に立てなくなったので、おかしいとは思ったのだが、
本人の意識の低下もあり、原因が分からなかった。

 とりあえず、内科で見てもらったが不明で、整形外科の受診を勧められ、
そこで、レントゲンをとってもらったが、まだ分からない。

 最後になって、「MRI は時間がかかるので、一応CTをとって見ましょう。」
と言われて、CT検査の結果、やっと小さな骨折を発見できた。

 1~2ヶ月たてば、自然に治る骨折だということで、
なるべく安静にして様子を見ることになった。

 しばらく、車イス生活をしていたが、おかげさまで順調に回復し、
先週の診察では、骨も出来てきているとのことだった。

 これから、1週間後には立ち上がれ、2週間後には室内を歩き、
3週間後には食堂まで行けるようになると言う。

 みなさまのお祈りに感謝します。
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-11 10:49 | 家族 | Trackback | Comments(0)

Facebook

 一昨年の夏に、NYのD先生の弟さんご夫妻が日本に来られた時から
Facebook(フェイスブック)というのを始めて二年ほどになる。

 Mixiの海外バージョンといったようなものだろうか?
ただ、Mixiはペンネームの人が多いが、
Facebookは実名でやっている人が大多数だ。

 最初は、NYの教会のお友達とこれを通じて話ができたらと思っていたのだが、
だんだんと日本でのお友達の方が多くなった。

 このごろは、ずっと昔に知り合いだった人と
再会したりして、なつかしい思いをした。

 クリスチャンのお友達も、みんな2世が活躍する時代になっていて、
うれしいような、チョット寂しいような気持ちがする。
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-09 11:09 | パソコン | Trackback | Comments(0)

Oおばあちゃんの死

 母が、ゴールデンウィークの後で入院した時に、
同じホームの同じ部屋から、一緒に同じように肺炎で入院した
Oおばあちゃんという方がいた。

 同じように治療して、同じように回復して来て、
1ヶ月ほどが過ぎるころ、二人とも、もうじき退院かと思っていた。

 ある日、上の子が病院に、母のお見舞いに来た。

 うちの母は、「ありがとう。ありがとう。」とくり返し言っていた。
斜め向かい側に寝ていたOおばあちゃんは、
「あ~、いやだ。あ~、いやだ。」とくり返し言っていた。

 二人とも、同じように少し認知症があって、同じ言葉をくり返すのだが、
上の子に言わせると、うちの母はクリスチャンとして輝いているとのこと。

 それから母は退院したが、さらに1ヵ月ほどが過ぎて、
Oおばあちゃんが亡くなったという話を聞いた。

 生涯独身で、ときどき弟さんが来られていた。
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-07 12:12 | 家族 | Trackback | Comments(0)

ぼけ防止

 あるテレビ番組で、女優の南田洋子さんの例なども紹介しながら、
認知症について解説し、その防止策をいくつかあげていた。

 1.有酸素運動(散歩などが良いそうです)
 2.社会と交わる
 3.新聞・本を読む
 4.日記をつける
 5.料理を作る
 6.恋心

 最近、日記の更新が少なくなっていたけれど、
「日記をつける」というのがあるので、
これからもボチボチと、
ぼけ防止のために続けていこうかと思う。
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-07 11:23 | 家族 | Trackback | Comments(0)

献身

 牧師夫人のM子先生の具合が良くないそうだ。
M子先生は、今から4年前の2007年に、
肝臓の肉腫で、九死に一生を得るような、
非常に大きな手術をした。
 その後、2年後の2009年にも、再発した肉腫の手術をした。
 そして、今度が3回目の再発で、先日も1ヶ月ほど入院して、
放射線治療を受けられた。

 この間の日曜日の朝礼拝は、I牧師先生のお話だった。
 最初に“海ゆかば”という歌を歌われた。
それは、戦時中に、天皇陛下のために命を捧げた戦士の歌だが、
キリストのために命を捧げたと言いかえれば、自分達にも当てはまる。
 メッセージの内容は、献身についてだった。

 I牧師先生は、19才で召命を受け、
いろいろと迷ったが、6年後に神学校に入学した。
 親戚の人からは、時々「Iちゃんは、あのままJALに勤めていたら、
良かったのにねえ・・・・・」言われることがあるそうだ。

 そして、神学校を卒業後、M子先生と結婚し、開拓伝道を始めた。
 当時は、教団にも属さず、単立で全くのゼロからのスタートだった。
 それから40年あまり、多くの人を導き、新会堂も建てられたが、
その牧会の苦労は、経験した者でないと分からないようだ。

 M子先生とは、はためにも夫婦仲が良いとは思われず、
その強さゆえに、ずいぶんとケンカもしたけれども、
今にして思えば、その強さに助けられた所が多いと言う。
 このところM子先生が、めっきり優しくなってしまったとのこと。

 おふたりとも、その命をキリストのために捧げ、
尊い献身の生涯を送られたのだと思う。

  I牧師先生が献身された時の聖句:
 
  「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、
  わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
  わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
  彼は国々に公義をもたらす。」     (イザヤ42:1)
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by suzuran-no-nikki | 2011-07-02 11:09 | 教会 | Trackback | Comments(0)