千葉在住のクリスチャン。中国語やゴスペルや手話が趣味のスズランが感じたり思ったりしたことの日記。


by suzuran-no-nikki
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私が20才だったころ

 下の子の成人式を終えて、私が20才だったころを思い出した。
 そのころ、私はまだクリスチャンではなく、成人式にも出席もしなかった。

 クリスチャンになって、しばらくしてから当時のことを教会の文集のようなものに
載せたのがあったので、やや長文になるけれども、ご紹介させて頂きたい。


文集より・・・・・                      M・I (書店勤務)
 
 「『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
世の中にある人と栖と、またかくのごとし。』(『方丈記』冒頭より

 人の人生とは何だろう?
この永遠から永遠に至る時間の流れの中で、水に浮かぶ泡のように現れては、
すぐに消えていく人生。
死んだら自分は無になってしまうのだろうか?
一体自分はどうなってしまうのだろう?
そう考えると、私は居ても立っても居られなくなりました。

 中学から高校にかけて、私はいろいろな本を読みあさりました。
仏教の禅の勉強をしていた父の話も聞きました。
友人に創価学会の人がいて、そこへ連れて行かれたこともあります。
けれども、もうひとつ納得することができませんでした。
そして、結局この世の中に絶対的なものなど無いのだという
自分なりの結論に達しました。

 高校時代、古典や漢文が好きだったこと、
またちょうど日中国交正常化の翌年で、
中国ブームに沸いていたことなどから、
大学は中国語科に入学しました。
あの広大な土地と悠久の歴史を持つ中国という広い国になら、
何かがあるかもしれないという期待もありました。
その大学の時、クリスチャンの人がいました。

 20歳の夏、私は初めて教会という所へ行きました。
教会で語られた説教は、鋭く私の心に入りました。
いわゆる犯罪は犯していなくても、それらと同じ罪深い思いを持っている自分。
良いということは分かっていてもなかなか実行できず、
悪いということはそれが分かっていてもすぐにしてしまう自分。
そんな私のために、イエス・キリストが十字架にかかり、死んで下さったということ。
そして三日目によみがえり、今も生きていて働いておられるということ。

 『この天地は滅び去ります。
しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。』 (マタイ24:35)
私はここで、ついに真実な変わらないものを見つけました。
それからは、いつも主が私と共におられ、私に平安を与えて下さいます。

 大学卒業後は、専門の中国語を活かし、中国との貿易に従事、
現在は中国書籍の輸入に、微力ながら日中文化交流の役割を
担わせていただいております。

 願わくは、新渡戸稲造が「太平洋のかけ橋」とならんと言ったように、
このすばらしい主の福音を携えて、「日本海のかけ橋」とならんというのが、
今の私の夢です。」


・・・・・あれから、数十年が過ぎ、あの時の夢がどれだけ実現できたかは
分からないが、 少しでも主のお役に立った人生だったらうれしいと思う。
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by suzuran-no-nikki | 2011-01-12 11:14 | 教会